当然のことですが、会社にはその会社ごとの歴史があります。MIRAISは現在16期目で、2024年9月からは17期がスタートします。MIRAIS GROUPにも、創業から現在に至るまでに様々な出会いやできごとがありました。
今回はMIRAIS GROUPの歴史の中から、MIRAIS GROUPの4名の役員にお集まりいただき、それぞれが「役員になった経緯」について伺っていきます。
どのような経緯で現在のポジションに至ったのか。当時の会社の状況や任命、就任の背景について、それぞれの視点から振り返っていただきます。
MIRAIS GROUPの歴史を振り返る特別企画。ぜひ、ご一読ください。
株式会社MIRAIS
代表取締役社長
重松 宏志
株式会社MIRAIS
取締役副社長
筒井 陽世
株式会社MIRAIS
取締役専務
氏家 祥
株式会社MIRAIS Tech
代表取締役社長
北澤 貴彦
ーー本日はMIRAIS GROUP役員の方々に、「役員になった経緯」を伺っていきたいと思います。それでは重松社長、時系列で振り返っていただけますか?
氏家専務
重松社長:私が今のMIRAIS、当時FOXを立ち上げる際に、創業メンバーとして氏家専務に声をかけました。創業当初は、私は代表者という立場ですが、氏家専務には個人事業主という立場で配送業務をやってもらっていました。その中で氏家専務は本当に連日朝から晩まで働いてくれていて、非常に助かっていました。
氏家専務:その頃は120連勤くらいやっていましたね…。
重松社長:今だから笑い話ですけど、そのくらい一生懸命働いてくれていました。
ーー少し話がそれてしまうかもしれませんが、創業時に氏家専務に声をかけた理由は何かあったんですか?
重松社長:氏家専務とは専門学校が一緒なんですけど、当時からとにかく真面目でした。遠方からの通学にも関わらず、学校を休まないし、授業も非常に真面目に受けていました。また、氏家専務は専門卒業後、バイク屋の店長をやっていたのですが、たまたま会う機会があって、その際に仕事に向き合う姿勢や仕事への考え方を聞きました。その時に、「この人なら自分の夢を一緒に追いかけてくれる」と感じて、声をかけさせてもらいました。
ーー役員任命はどのような形でおこなったんですか?
重松社長:業務委託で働いていた氏家専務からある時、「俺、結婚するわ」って報告を受けたんですね。まだ会社設立から3、4年くらいの頃で、本当にこれから先どうなるかわからないような会社なのに、そういった覚悟を決めてくれたことが個人的には本当に嬉しかったんです。「この会社でやっていく」という覚悟を感じていたので、役職等を考えた時に社員としての雇用契約ではなくて、役員として働いてもらいたいと思いました。その頃はまだ私達も若かったので、“役員”として働くことへの憧れがあったり、また、世間的な印象も良くなったりするのではないかとも考えました。そして、その結婚式では主賓挨拶をさせてもらったんですが…覚えてる?
氏家専務:もちろん覚えてますよ。
重松社長:主賓挨拶で「最後に皆さまに報告があります!氏家祥、本日より弊社の専務取締役に任命したいと思います!」って話をしたら、会場全体が「おぉ!おめでとう!」みたいな感じですごく盛り上がったんですね。でも、親族の席だけが(ドヨン…)って感じだったよね?
一同:笑
氏家専務:(ドヨン)とはしてないですよ。まあ、でもあの時は…私は事前に伝えられてましたもんね。
重松社長:えっ!?そうだったっけ?
ーーサプライズではなかったんですか?
重松社長:俺はサプライズでやった記憶なんだけど…。
氏家専務:いやいや、そもそも、主賓挨拶の練習に付き合わされていましたから。その練習の時に「こういうのも入れていいかな?」みたいな確認があった気がします。
筒井副社長:えっ?本人の前で練習したの!?
氏家専務:そうですね、一緒に事務所で。カンペを見ないで、間違えないようにスピーチする練習を延々とやっていました。私も「あっ、今のところ間違えてます」みたいな感じで。
筒井副社長:もう一回聞くけど、本人の前で!?
一同:笑
重松社長:感動もくそもないね。
ーー役員に就任された時の率直な心境としてはどのような感じでしたか?
氏家専務:結婚式の半年後くらいに、登記簿に自分の名前が記載されているのを見た時に「役員になったんだな」と実感があったことを覚えていますね。自分がまさか会社の役員になるとは思ってもなかったですけど、そこからは「どうにかして会社を大きくしたい」、「大きくするためにはどうすればいいのか」を考える日々がはじまりました。振り返ってみると、それまでとは違ったポジションに就き、実際の業務でもより高度なものを求められていたと思います。元々、私は責任感があるほうだと思っていますが、より一層強くなったタイミングでしたね。
ーー氏家専務が就任した頃、会社としてはどういった状況だったんですか?
重松社長:その頃は順調に売上を伸ばし始めている時期でしたね。ただ、売上は順調に伸びていっているものの、社内はズタボロでした。自分自身が企業に勤めた経験がないので、「“組織”はどういったものなのか」がわからず、いわゆる“ガバナンス”に関しては全く意識してなかったんですね。そういった状況のところに副社長が入社してくれました。
筒井副社長
ーー当時の社内の様子を振り返っていただけますか?
筒井副社長:当時からみんな仲が良くて、和気あいあいと仕事をしていたので雰囲気は良かったと思います。ですが、「ルール」が全くなかった。最初、衝撃的だったのは取引先のリストがない。業務を委託しているドライバーさんのリストがない…。つまり、何もなかった。
重松社長:履歴書だけはあったでしょ?
筒井副社長:今だから言えるけど、履歴書だって全く整理されてないから、ある人もいれば、ない人もいる。とにかく「ルール」や「しくみ」が何もない。重松社長や氏家専務の求心力によって“集団”ではありましたが、“会社”ではなかった。それをしっかりとした“会社”にしていくことが私のこの会社でのミッションだと思って取り組んできましたし、それは今も継続してやり続けていますね。
ーー役員就任はどのような流れでしたか?
重松社長:私と副社長は高校の同級生でその頃からの付き合いです。今ももちろんですが、高校生の頃から色々な相談をさせてもらっています。当時から私の相談に対してヒントや答えをくれる。入社当初から「こういった人間が役員になってくれたら嬉しいな」というのは思っていました。ただ、私の考えとしては、私が会社の代表なので、決断は私がする。だけど、その大きな方向性を決めるのは“周りのみんな”だと考えています。だから、当時中核になってくれていた人たちを納得させられるようなパフォーマンスをしてほしいっていう話は二人の間ではしてたよね。
筒井副社長:そうだね。
重松社長:そうした中で今でも鮮明に覚えているエピソードがあって…。副社長が入社した1年目に戦略事業部長をやってもらったんだけど、初めての全体会議があった時に「今の会社の課題」をリストにして提示してくれたんですね。その課題は各セクションで分かれていて、経営部門は〇個、人事部門は〇個、営業部門は〇個…。改善すべき課題がトータルでなんと200個以上。これをバンッと出した時に衝撃で言葉が出なかったですね。会議に出ていたメンバーも皆、衝撃を受けたと思います。
筒井副社長:ちなみに補足すると、その「会議」自体も会社に存在してなかった…だから新たに設けたんだよね。必ず月に一回は主要メンバーで情報交換だったり、すり合わせをする機会をつくるべきだと伝えて、会議を立ち上げた。その最初の会議だったね。
重松社長:そこから始まって、社内のガバナンス構築に向けてルールやしくみを1個ずつ整えていく。先程話したリストにある200個以上の課題項目を「どこからやっていくべきか」、「これはまだ早いか」、「今月はここまでやって、今期中にはここまでやろう」というように落とし込んで、毎月毎月、新たなしくみづくりをしてくれた。私としても「すごいな…」と純粋に思いましたし、その感覚は皆にもあったと思います。そして、戦略事業部長を1年やってもらった上で、私は副社長になってもらいたいと思って、お願いをしました。
ーー重松社長の中で“決め手”は何かあったんですか?
重松社長:一緒に仕事をしていく中で「こんなに思考力が深いんだ」というのは事あるごとに感じさせられていました。そうした中で先程、“決断をするのは自分だけど、大きな方向性を決めるのは周り”という話をさせてもらいましたが、実際に周りからも声があがってきたんですね。今、役員になっている氏家専務、北澤社長からも「筒井さん、役員にならないんですか?」や「そうなってほしいです」という声があがってきました。“決め手”はやはりそこですね。
ーー“副社長”に任命された当時の心境を振り返っていただけますか?
筒井副社長:嬉しかったというよりも「有難い」や「感謝」の気持ちがすごく大きかったですね。私と重松社長は高校からの付き合いで、高校卒業後からFOXに入る前までも定期的に会っていました。その会っている時間の中でも重松社長はあちこちから電話がかかってきて、全然席にいない。戻ってきて5分くらい喋ったら、またかかってきて…みたいな感じでした。その時から、「これは“社長業”ではない」という感覚が漠然とあったので、私がFOXにいったら、重松社長には“社長業”をやってもらいたいと思っていました。ですが、それはあくまで自分の考えでしかない。だからこそ、氏家専務や北澤社長が推薦の声を上げてくれたことでその想いを実現できると思い、本当に有難かったですし、感謝の気持ちがすごく溢れてきたことを覚えています。ただ、立場が変わっても、やるべきことは変わらないと思っていたので、変なプレッシャーはなかったです。とにかく、「やるべきことをやろう」という思いがより強くなったという感じでしたね。
ーー筒井副社長は、他の役員や社員の方より社歴が浅い中での役員就任だったと思いますが、そのあたりの難しさみたいなものはありましたか?
筒井副社長:当時、中枢を担っていた幹部の中で新参者ではあったので、気持ち的に全く難しさがなかったかと言われるとそれは嘘になりますね。やはり、どこかで「いいのかな…」という気持ちは正直ありました。その気持ちはありましたけど、そこに関しては「役員になってからの自分次第だ」と言い聞かせることで、良い意味で自分にプレッシャーをかけて消化していった感じですね。
重松社長:なんか、今の話でさ…。「いいのかな…」って気持ちがあったって言ってたじゃん。その感覚は私もあったんですよね。役員の中でも陽世には「副社長」就任をお願いしました。ということは、陽世が“ナンバー2”になる。担ってもらっていた業務内容や組織全体を考えた上で、その役職が一番いいと思って決めましたが、私の中であったのは、氏家専務がどういう反応をするか。FOX創業からずっと寄り添ってナンバー2でやってきた氏家専務に対して「陽世を副社長にする」って伝えた時に、氏家専務がどう思うのかっていうのは、正直めちゃくちゃ考えましたね。だけど、その時の氏家専務がカッコよかったんですよ。それを伝えた時に「俺も絶対その方がいいと思います。」と快く受け入れてくれたんですよ。覚えてる?
氏家専務:覚えてます。その決定に対して、変な違和感や難しい感情は全くなかったですね。その方が「会社が良くなる」、「会社にいる人がより豊かになる」と思ったので、何の抵抗もなく、すんなりとその言葉を受け取ることができました。
筒井副社長:その一連のやり取りを後日聞かせてもらって、氏家専務の器の大きさを感じました。それは感謝だけではなく、尊敬の念ですね。自分に置き換えて考えた時に、自分が同じ境遇だったとして同じように快くそう言えるのか…。また戻ってしまいますけど、そう言ってもらったからこそ、「がっかりはさせられない」と強く思いました。とにかく会社を良くするために自分がやるべきことに全力で取り組む。業務に対するモチベーションと会社や人に対する責任感が増していきました。
MIRAIS Tech北澤社長
ーーその頃は会社としてはどういったフェーズだったんですか?
重松社長:ちょうど設立10周年のタイミングでした。10周年に向かっていく中で「経営理念」や「行動指針(コンパス)」が決まっていった時に、会社としてやりたいことのビジョンがもっと大きなものになっていったんですね。そういった背景があったことと10年という一つの区切りということもあり、社名変更することを決めて、10周年の感謝祭で「社名変更プロジェクト」を発表し、その年にFOXからMIRAISに社名変更をしました。
ーーその時、北澤社長はどういったポジションだったんですか?
北澤社長:新設されたIT戦略部の部長をやらせてもらっていました。IT戦略部長に就く前にFOXでは業務委託ドライバー、支店長を経験させてもらいましたが、その中で感じたのは軽貨物業界がものすごく“アナログな業界”だということです。私自身、IT業界での経験が長かったので、その経験を活かして、まずは社内をもっとデジタル化していきたいと思っていました。こうした思いをもつ中で、IT戦略部としては筒井副社長と一緒に社内のガバナンスを整えることを主な業務としてやっていました。具体的にはkintoneなどの様々なツールを使って業務を効率化するといったことがメインで、その時はまだ外販するサービスの開発はしていなかったです。
筒井副社長:会社内の様々なしくみを構築していく中で、ITを駆使してスキームづくりをする。そういったポジション、役割を担ってくれていた感じですね。
重松社長:IT戦略部を立ち上げた背景としては、北澤社長が言ってくれたことなんですよね。「この業界ってこんなにアナログなんですね」っていうのも北澤社長の視点だからこそ見えた部分。私はずっとこの業界でやっているから、これが当たり前だと思っていたけど、北澤社長からすると、もっともっとデジタル化して業務を効率化できると。そういった意見をもらったので、IT戦略部を立ち上げました。
ーーIT戦略部から、どのようなきっかけでMIRAIS Techができていくんですか?
重松社長:IT戦略部を立ち上げた頃ぐらいから、新規事業開発の取り組みもはじまっていました。「新規ビジネス案」のシートを作成して、そこに100個のアイデアを入れることを目標にして会社全体で取り組みました。テーマはシンプルで、「新しい」、「ワクワクする」、「コンプライアンスを遵守する」、この3つを網羅しているアイデアであれば何を書いてもOKにして、役員・社員全員で考えていきましたね。最終的には110前後あったよね。
筒井副社長:最後のほうは100個を超えるために無理やり入れ込んだのもあったけど…。
一同:笑
重松社長:そこで出たアイデアの中から“どれを新規事業にするか”を、役員会議や企画会議で議論を重ねました。議論を重ねていく中で、やっぱり軽貨物業界を長くやってきたから、「この業界に対してITの力を活用して業界全体をより良くしていきたい」という想いが強く出てきたんですね。その方向性でさらに議論を進めていった結果、『PAYS』が生まれました。
ーー『PAYS』ができた時点では、MIRAIS Techはまだ存在していなかったんですね。
重松社長:実はそうなんですよ。『PAYS』はMIRAISで開発して、その後MIRAIS Techを設立し、事業承継した形ですね。開発においてはIT戦略部長として、北澤社長にメインで担当してもらっていました。
北澤社長:そうですね。『PAYS』のサービス内容がMIRAISの主業である軽貨物配送事業と全く違うので、MIRAIS Techを設立することになりました。
ーー“社長就任”について、重松社長から北澤社長へはどのようなお話があったんですか?
北澤社長:まだMIRAIS Tech設立の話が出る前ですが、重松社長から「社長になるのはどうかな?」という話をいただく機会はありました。ただ、その時は「将来的にどうかな?」というニュアンスだったと思います。なので、現実に落とし込んで考えたわけではなかったですけど、感覚的には面白そうだなと思い、その時は「やらせてもらえるんだったら、やってみたいです」と答えました。具体的に何がどうだからやってみたいと考えたわけではなかったですね。
重松社長:私には色んな事業をやっていきたいという想いがあります。ただ、色んな事業をやるにしても当然、自分ひとりでできるとは思っていません。なので、そこに対して「リーダー」となってやってくれる人を育成していきたいと考えています。以前、飲食店を展開した時に苦い経験をしたこともあったので、新事業のリーダーを人選するにあたっては、「次こそは」と思っていました。そういった中で北澤社長にはIT業界経験者ならではの物事の捉え方、見方があり、自分たちとは違う感覚があると感じていました。違った角度で物事を考えられるのは面白いと思いましたし、会社としても強みになっていくと感じたので、その時は将来的な話ではありましたが、北澤社長に「社長はどうかな」と聞いてみました。
ーー具体的に“MIRAIS Tech社長”を任命された時の状況を振り返っていただけますか?
重松社長:MIRAIS Tech設立を進めていく中で、社長の人選についてはMIRAISの役員3人で議論を重ねました。役員の中では満場一致でしたね。あとは北澤社長の判断になるんですが、正式に社長就任が決定するまでには、何度も話し合いをしました。こちらとしてもしっかりと伝えなければいけない話もあったので。具体的な話としては、金融機関との取引において融資をしてもらう際、北澤社長にも代表者として連帯保証人になってもらわないといけない。私と運命共同体になるわけですね。普通に考えると、億単位で借金を負うことって怖いと思うんですよね。そういった現実的でシビアな話をして、「やっぱり無理です」と言われることも可能性としてはあったと思います。でも、怯む感じは全然なかったもんね。
北澤社長:そうですね。意外かもしれませんが、私はそういう大切な部分を“感覚”で決めるところがあるんですよね。もちろん、様々な要素は聞いた上で判断していますが、最終的には先程も言った通り、自分が面白そうだなと思うかどうか。自分で面白そうだと思えたならそれでいいかなという感じなので、しっかりと考えた上で、最後は自分の感性に従って「挑戦してみたいです」と答えさせていただきました。
重松社長:その時は本当に「ありがとう」という感謝の気持ちがわいてきましたし、北澤社長の覚悟も見えた気がしました。先程も言いましたけど、億単位の借金の話ってビビると思うんですよね。でも、「本気で成功させよう」、「人生をかけてやろう」と考えてくれたからこそ、「やります」と言ってくれたんだと思います。その日のことは今でも鮮明に覚えていますね。
ーー“社長就任”に対して、周りの方からの反応は何かありましたか?
北澤社長:私の中で印象的だったのは父からの反応ですね。『PAYS』をリリースした時にプレスリリースで新聞をはじめ、いくつかメディアに出させてもらいました。そこには当然、「MIRAIS Tech代表取締役 北澤貴彦」と出ています。それを見た父から「お前、頑張ってるんだな」と言ってもらいました。今まであまりそういうことを言ってもらえたことがなかったので、それは素直に嬉しかったですね。そういった感じで親は非常に喜んでくれて、一種の親孝行にもなっているのかなと思いましたね。
ーー最後になりますが、これまでを振り返ってみて思うことや、今後の展望について教えてください。
重松社長:今までの歩みを振り返ってきましたが、話している中で思い出すこともたくさんあり、役員就任という観点だけでみても本当に色々な出来事があったなと思います。役員としてそれぞれがかけがえのない存在だし、それぞれが会社にとってベストのタイミングでの就任だったんだなと改めて感じさせられました。会社をはじめた時は氏家専務がいなかったらできていなかったと思うし、そこは氏家専務じゃないとダメだったと思います。ただ、氏家専務と突っ走ってきた中で社内がぐちゃぐちゃになっている状態を整えるのは筒井副社長にしかできないことだったと思うし、Techサービスができる時も北澤社長じゃなければ実現できなかったと思います。この一つひとつの任命は、今振り返っても間違ってなかったと思っています。今のこの4人は、自分のこと以上にMIRAIS GROUPのことを考えていると思うので、人数が増えて将来的に働く拠点が別々になったとしても、常に同じゴールを思い描いて一緒に進んでいけると思っています。また、今後の展望としては、会社として色々なことに挑戦していく中で、こうした同じ思いを描くことができる「社長」や「役員」をどんどん増やしていきたいと考えています。MIRAIS GROUPの役員は、今は4人ですが、10人、20人と広がっていくような組織にしていきたいです。これからもMIRAIS GROUPの将来を少しでも良くしていけるように、皆で力を合わせて頑張っていきます。
まとめ
今回はMIRAIS GROUPの4名の役員に、それぞれの就任の背景や当時の会社の状況についてお話を伺ってきました。
役員の方々は、「当時の様子を振り返り、お互いの想いに改めて触れることで、理解や信頼、結束力がより増す貴重な機会になった」とお話されていました。印象的だったのは“それぞれがかけがえのない存在だし、それぞれが会社にとってベストのタイミングでの就任だった”という重松社長の一節。会社の成長や変革の中で、それぞれの役割がいかに重要であったかを痛感させられました。
そして、この特別企画を通じて、現在のMIRAIS GROUPを牽引する役員たちの会社や業界に対する想いを知ることができ、MIRAIS GROUPの今後に、一層の期待が高まりました。